関口雄三 ってなんだろう?
絵を描くことが好きで、日本大学芸術学部デザインコースに入学する。
日本大学芸術学部はバウハウスの流れを汲んでおり、バウハウスで学んだ山脇巌の影響を強く受けた西川尭に師事する。
学生時代から都市計画に興味を持ち、卒業制作は奈良の70万都市計画、平城京復元をテーマに取り組んだ。
卒業後は、黒川紀章建築都市設計事務所、馬場建築設計事務所を経て、28歳のときに、ふるさと葛西の地に「関口雄三建築設計事務所」
(のち、株式会社 関口雄三建築設計事務所)を構える。
作家として作品をつくっていくという気持ちが強かった時代(作品主義)、
建築文化、新建築、商店建築、SD、日経アーキテクチュア、週刊誌等、様々な雑誌に作品を発表していた時代があった。
その当時、開発の名の影に隠れていたふるさとの自然に着目し、
「子供たちが海で泳ぐことが出来ない」ということに問題意識を持ち、「東京湾再生」を強く思うようになる。
東京湾再生のために政治家を支援、東京湾憲章や都内唯一の臨海公園の渚が現出する一助となった。
こうして、環境再生問題に取り組んでいった。
建築家である前に、一住民として捉え、建築家としてどう尽くせるか。
この考えを基本に建築家集団も組織。
戦後、失ったものは、自然環境だけではない。その風土に培った文化も同時に失ってしまった。
経済優先の思想が自然環境や文化芸術の喪失につながっていることを確信し
建築を文化として捉え、自らの建築の造りを通し、アーティストを建築の中に積極的に参加させていった。
そのことが、アーティスト支援をする「ビッグバン株式会社」を設立する発端となった。
ビル事業を行う。
自らがビル事業を行うことにより、
入居者の健康や生活を考えると、建築の持つ性能を今一度考えることとなった。
作家の姿勢から、使用者の立場に立ったデザイン。
つまり、入居者をどう捉えるかを考えていくと、建築とは何か、性能から出来てくるデザインが浮かび上がってきた。
21世紀の建築だ。
それは、今までの価値観から兼ねてより取り組んでいた環境問題と芸術問題をその事業の中に具体的に取り入れていくこと。
失われた風土を生活者と共に、自らの街の中に取り戻すためのデザインをより強く意識していった。
それが、関口美術館や認定NPO法人ふるさと東京を考える実行委員会の活動につながっている。
「建築文化」や「商店建築」の中で発表した ゛「と」の理論゛ ゛生活美゛ という考え方が基本になり自分の企業としての理念が
関口美術館や認定NPO法人ふるさと東京を考える実行委員会の設立となった。
すべての行動が切り離すことなくつなっがているのだ。
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建 築 / 芸 術 / 環 境
株式会社 関口雄三建築設計事務所 ( 建築設計・監理 )
認定NPO法人 ふるさと東京を考える実行委員会 ( 環境活動 )